掃海艇あおしま
2005.7.3.PM2・一般公開・宮崎港
![]() 基準排水量510ton・主寸法L54mW9.4mD4.2m・主機関900ps2基2軸・速力14kt・主兵装20mm機関砲,掃海掃討装置・乗員45名 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 起工:平成14年4月・進水:平成15年9月・就役:平成17年2月・佐世保地方隊沖縄基地隊第46掃海隊配属 |
![]() 主装備:20mm機関砲・自動操艦装置・機雷処分具・係維掃海具・補助電気推進装置・情報処理装置・機雷探知機・バウスラスター |
昭和19年(1944年)になるとサイパン・テニアン南方の島々がアメリカ軍の陸海空軍の攻撃を受けて日本軍は壊滅状態となり、 日本本土へ爆撃がいよいよ本格的となりました。決定的なのは硫黄島の陥落でアメリカ軍爆撃機B29の日本都市空襲が拡大、 日本の敗戦もいよいよ間近となった昭和20年、更にその後に沖縄陥落、広島・長崎原爆投下とつづき敗戦 東京湾や大阪湾や瀬戸内海のアメリカ軍爆撃機投下による機雷封鎖で制海権をすっかりアメリカ軍にうばわれてなす術の なかった日本陸海軍。その後、B29などにより大量に投下された機雷は日本近海の船舶航行の大きな阻害になったのは 言うまでもありません。敗戦後、日本海軍掃海隊は海上保安庁に移り、永年、日本近海の掃海作業に従事しました 太平洋戦争を引き起こした日本政府首脳はアジア諸国のみならず国内にも大きな被害をもたらしたのです そういう歴史をしっかりと語り継がないから隣国から過大の損害賠償を要求されているのが日本の現状 双胴機カーチスやグラマン戦闘機の機銃掃射を間の当たりにした体験は幼児も戦争の本質を見抜いてしまいました 国にあり、掃海艇が活躍するときは国に変事が起こる時。業務は危険多く、一発触発・機雷除去の掃海作業、一歩取り違えば、 死と隣り合わせの作業 艦名を宮崎県青島に由来する掃海艇「あおしま」、この艦船のログブックは近未来の日本が歩いた進路の記録簿。 |